あの日は何を食べたんだろう?

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お昼はカレーです、

備蓄品を食べる日で、食べたら補充を忘れずにしなくてはなりません。

 

3月11日のあの日、

午後2時40分過ぎ、大きな地震が起きて電気が消えて・・・収まったかなと思ったら

すぐに2回目のゆれが来て、「潰れるな、終わりだな」と夫は思ったそうだ。

その後の行動は、先ず夫は家の周りを確認、家庭用のホームタンク(灯油)2~3日前に入れてもらったばかりでほぼ満杯、ジュワ~~とこぼれていたようだ。

ワタシはお風呂に水を張っておいた、結果としては水が止まることは無かったのだが。

停電になると、電気製品が使えないだけではなく、トイレの水が・・・ね、

バケツに汲んで流すことに。お風呂に入ったのも4日後だった。

 

ラジオを付けて、充電しておいたポータブルテレビは夜だけにした。

だから、津波の大変さを知ったのは電気が復旧した4日目の午後でした。

今思い出すと、たかが4日ですが、一体いつ復旧するの?

教えてくれる人がいないのは不安ですね。

 

あの日、一体何を食べたんだろう?

冷蔵庫の中・・・在庫は紙に書いて冷蔵庫のドアに貼っていたので見ながら、出来るだけ冷蔵庫の開け閉めを少なく、先ず豆腐とお肉を使って寄せあわせの鍋だったかな、

灯油の反射式ストーブもある、カセットコンロもある、煮炊きは何とかなる、

 

冷蔵庫の中も食材もほぼ食べつくした頃に電気がついて、

何故かご近所さんみんな外に出てきて笑顔で声を掛け合った、不思議な光景。

 

停電の中、ちょっと不謹慎だけど

アイスを毎食、2個食べるというこれ以上ない大盤振る舞いをした事も。

でもね、沿岸の人も話していました、冷凍庫に入っていた海産物のいわゆる贅沢品

ウニやイクラ・・あれやこれと食べないと腐ってしまう、

まるで盆と正月みたいだったと。

 

どんなに苦しくても悲しくても腹が減るんだよ、と。

 

・・・なんも・・いえねぇ~です。

 

備えに関する記事はいっぱいありますから、自分の暮らしにあったものを探して備える事が重要ですね。

ネットでは3.11募金もしています、まずはワタシにできる事から。 

 

あの時、夫と約束したこと

『いつか、行ってみたいね』
『いつか 食べてみたいね』  

 

それ、やめようね、明日の保証は無いよ、・・・そうなんだけど、

のど元過ぎれば忘れてしまう、これもまた事実です。。

 

ではでは、今夜は鍋です、豆腐と白菜とネギと。