介護保険が始まったのは2000年頃ですね、当時義父母は二人で暮らしていて
・ヘルパーさんを週1回
・ディサービスを週1回
介護保険を利用していました、私たちも時々新幹線で帰して帰郷していました、今でいう遠距離介護というのでしょうか? 子供たちも大きくなっていましたからね。
まだ、義父は何とか歩くことが出来ていましたし、義姉が病院に連れて行ってくれたり、買い物をしてくれていました。
義母が右半身マヒになって、5~6年経っていましたから、義父が食事からお風呂の準備まですべてをやっていました。
そして、私たちがこちらに戻ってきて半年もたたないうちに全く歩けなくなりました。
いろいろ検査もしましたが、首の頸椎の一部がずいぶん潰れているということでした。
義父は戦争へも行ってますし 長年の無理が積もってのことだと思いました。
「要介護4」入院中に要介護認定を受けました。
自宅に帰ってからは訪問看護をお願いしてリハビリも頑張りました、
とにかく車椅子でトイレに行ってつかまり立ちが出来るように、これが目標でした。
「要介護3」 1年後 頑張ったからだね、みんなで喜んだことを覚えています。
当時の介護サービス
義父 ・車いす(室内用で小回りできるもの)
・ベット、床づれ予防のマットレス、ベットの手すり
・尿器(夜間に使用)
・スロープ(玄関で車いすを外に出すとき利用)
義母 ・ベット、ベットの手すり
・杖(4点支持杖)
二人 ・ディサービス 週2回 夏場はシャワー浴をお願いしたこともあります。
・訪問看護 月2回
・ショートスティ 2か月に1回 (この時に散髪をお願いしました)
この他に 義母が半身まひになってから、自費で車いすを購入していました。
お風呂介助は大変です、夫は腰痛が酷くなったので介護サービスを利用しました。
訪問看護も助かりました、二人がずっとお世話になっていたお医者さんでしたから、リハビリと診察が出来て、あとでお薬を頂きに行くだけでよくなったからです。
病院には3か月に一度、介護タクシーを使って出かけていました。
ショートステイの利用のおかげで、旅行も山も行くことが出来て、リフレッシュ!!
さて、そんなこんなで1年ほど経って
「要介護2」ここまで回復と喜んではいられません
早速、ケアマネージャーさんと相談、レンタル用品も多いですし、介護サービスも結構利用していましたから計算していただいて、これはちょっと無理かも となって、
いざーーー申し立て。。。
「介護認定不服申し立て」と「区分変更申請」どちらを選ぶか?
手続きに必要な書類もありますから、ケアマネージャーさんと相談。この時に頼りになる信頼できる方であることはとっても重要です。
介護認定不服申し立ては県の方へ届け出、介護認定審査会に掛けられて時間もかかるようですから、市町村で手続きできる区分変更申請の方がよいとの事でした。
それほど日数もかからず、主治医の先生の意見書(?)書類は必要でしたが、訪問看護の時にお話しをしていましたし、先生もそりゃダメだろ、と言ってくださっていましたので、申請はすんなりと出来ました。
実は夫もワタシも自治体にかかわる仕事(ほんのパートですが)をしていたので、いわゆる忖度があったのかどうかは解りませんが、仕事に行った時に要介護度の話しをして、仕事が続けられないかも~と話してましたので、あっという間に調査のやり直しが進み 元の要介護度に着地。。。小さな町ならではのことかもしれません。
なんか、腑に落ちない部分もありましたけど、結果オーライ、
これが世の中の流れなんでしょうか、いやな話ですよね。
介護保険が始まってそろそろ20年ですか、
今は要介護の認定は難しくなっていると聞きます、
私達の時は始まったばかりで行政も手探りの時だったのかもしれませんね。
ちょっと長い思い出話になりました、どんとはれ。。。