カイゴと カクゴは 似て非なるものだけど

介護と覚悟 漢字で書くと全く違うけど、カタカナにすると

カイゴ と カクゴ 
目の老化による乱視と遠視のせいではありません、ねっ 似てるでしょ

現在介護をされている方の参考になることはありません、

当たり前の事ですが、100人の介護は100通りありますしワタシが介護生活をしていた時と今では介護保険もいろいろ変わっているはずです。

 

当時の家族構成 義父 83才。 車いすで1級障害者手帳あり

           義母 77才。 右半身マヒで2級障害者手帳あり

        オット 56才 早期退職制度利用(退職金がちょっぴり多め)

        ワタシ 48才 ・・若かったんだねぇ~と感慨深い

介護を始めた頃、たった一度 泣いたんだよ。
何故泣いたか? 別に義父母に酷いことを云われたのではありませんし、介護の生活が大変だったからでもありません、そんな事は初めからわかっていることですし。


ただ、わたしの覚悟が足りなかった、それだけなのです
介護を始める時は、周りはとても協力的なことを云います、いつでも言ってね、何でも言ってね・・・はいはい・・・
根が正直なものですから? でも、全く無駄な事だったのです。

当時少しだけ仕事もしていたんです、夫の勧めもあって今もそれは続けているのですが、義父母と同じように体の不自由な方のお金の管理をお手伝いしています、あまり深くお話が出来ないのですが、月に5~6人お手伝いをしています。

それで曜日によっては義父母のディサービスから帰ってくる時間に義姉に家にいてほしいと頼んだり、義母のお風呂の介助を頼んだり(ワタシでは嫌だという時もあったので)
しかし姉は時間を忘れていたのか頼りになりませんでしたし、

「お風呂なんか入らなくても死にやしない」という驚くような返事などもあって・・それからは頼むのをやめました。
義姉は看護婦さんでした、どう云ったらいいのかな?とてもあっさりしているんです、

必要か不必要か?と割り切って考える人です。

義父が入院して、歩けるようにはならないからこのまま病院で と なった時も、家に連れて帰ろうと云ったのはワタシです、義姉は反対したんです、

だから、その時もっと覚悟を決めなかった自分の甘えなのです、みんなで助け合いながらなんて考えたのが間違いなのです。 

その他にも些細なことがあって、わーわー泣いたのです、

泣いた理由はただ一つ
そうです、覚悟が足りなかった自分に腹が立ったから、です。

♬あの時~君は~若かった~~です。。今なら大笑いできます。。

夫には理由を聞かれましたけど言いませんでした、話したところでもめるだけですから。

 それからは楽しくなりました、

手を抜けるところは抜いてもいいんだと、ワタシも割り切ってできるようになり続けられたのですから。

いわゆる下の世話というのが、一番大変なのかもしれませんが、そんなことは大したことではありません。

食べたら、出るのです。みんな一緒です、出来ないところに手を貸すだけです。

お食事中の方ごめんね

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義父母のベットが仲良く並んでいたころ(2003年頃)


まぁ~夜中に起こされて部屋へ入ったら・・

義父のベットの上が・・・便の・・海・・状態  (毎晩下剤を飲んでいましたから)

さすがにその時は参ったけどね、どこから手を付けたらいいのやら、バケツを持ってきて・・と

真夜中に夫と二人でお風呂で格闘して、洗濯し終わったら夜が白々明けた、

そんな事も今では笑い話です。

義父の介護は8年で、それから3年後義母が続きました、その間にワタシの母が逝き、

なんか3~4年間 喪服ばっかりだったような気がします。

 

ところで、そんな生活の中で仕事をしたのは何故かというと、

う~ん、ありがとうって言って欲しかったのかな?

 

せっまい根性の持ち主だ ←指さしてもいいぞ!

 


おまけ

似て非なるもの 「もりそば」と「ざるそば」 そうなの?

 

閉店 ガラガラ。。。